私とジェンダー
こんにちは!まことです
最近はまた天気が良くなったと思いきや、雨が降ったりでよくわからないですね、、、
私事ではありますが、大学三年生になったので近頃は就活やら何やら将来のことを必然的に考えるようになり改めて自分の価値観ってどんな感じなのか、自分はどういう人間なのかを考えるようになりました。
今回は、私の、皆さんの、大きなアイデンティティの一つであるジェンダーやセクシュアリティについて触れたいと思います。
私は自分はこのセクシュアリティっていうのは今のところ難しいなって思ってます。
今まで好きになった人は男の子です。
でも、これから好きになる人が全員男の子なのか断言できるかと言われればわかりません。
私は中学・高校6年間を女子高で過ごしました。
教室を見渡せば女子。廊下に出ても女子。学校までの道も女子。休みの日遊ぶのも女子。
共学に通っていた方からしたら、6年間もそういった環境にいることは想像しにくい光景ですよね。笑
体育祭での告白、制服デート、シーブリーズの交換なるいわゆる男女の"アオハル"は皆無でしたが、私にとっては鬼のように楽しい、かけがえのない6年間でした。
この6年間で私はジェンダーについてすごく考えた時期がありました。
中学2、3年生の頃。
思春期真っただ中で、誰か特定の仲良い一人、ニコイチを作ることに謎のステータスを感じていた当時の私は一人の子にすごい固執していました。
それに相まって、もともと人との距離感が周りに比べて近かった私は仲良しの子達に
”まことってレズなの?” ”まことってあの子のことガチで好きなの?”って言われることが段々増えてきました。
小学生の頃好きになった人はいたけれども、
その好きは本当の好きじゃないというのは中学生ながら薄々気づいていたのか、
”本当の恋愛感情の好きとは?”という状態にいました。
そのせいか、
友達から言われるレズというワードやガチで好きなの?という問いかけにすごく引っかかって真剣に考えるようになりました。
私はもしかしたら女の子が好きなのかもしれない。
漠然とした不安を感じました。
それから、友達が本気で言っているのではないとわかっていても、そういったことを言われるたびに自問自答したり、本気で言っていないからこそ、あ~やっぱり女の子のことが好きって駄目なんだなと感じていました。
当時ジャニーズにハマったからか、高校生の頃に友達一人に固執するのが自然となくなったからかそれ以降自分のセクシュアリティに関して悩むことはあまりなくなりました。
こういった経験があったからか大学に入ってジェンダーについて学問的に学びたいと思えたし、今の自分のジェンダーに対する考え方を確立させてくれたので、すごく良い経験だったと思います。
今でも女の子でも惹かれる子であったり、魅力的だなと思う子たちが今もいるのは事実で、それが恋愛感情としての好きかと言われれば未だに答えはわかりません。
だから、私は自分自身をへトロセクシュアルとも断言できないし、レズビアンとも断言できないし、バイセクシュアルとも断言できないです。
でもそれで良いなって思ってます。
前にもどこかで話したと思うんですけど、白黒はっきりさせたり、0か100で物事を考えたり、正解、不正解をつくる必要はないと思うんです。
そんな二つしか選択肢がない世界なんて息苦しすぎませんか?
つまらなくないですか?もったいなくないですか?
人はそもそも環境に応じて変わっていくものだし、
それと同じで自分が好きになる対象が変わるのだって同じというか、自分でもどうなるかなんてわからない。
自分が人と違うことを恐れるのは本当にわかります。
私もめちゃめちゃ人の目や評価は気にするし、正直八方美人なところあります。
でも、ひとつ思うのは、本当の自分自身を出したり、自分の意見を言ったときに
笑ってきたり、離れていった人は自分にとってはそれまでの人なんだなと。
私は本来の自分をさらけ出したときにマイナスな反応であったり、自分に対してネガティブなことを言ってくる人のことまで気にしていたら、もう、メンタルが保たない!
最近やっと私もこうやって考えられるようになりました。笑
ジェンダーの話に戻ると、、、
元々、からだのつくりの話ではに男子・女子と特徴別に分けられますが、
それだけじゃないですか。
身体的特徴に必ずしも沿っていないといけない、100%一致しないといけないとかそういう決まりありますか?
そういうラベルや”普通”に固執して、何が普通かもよくわからないのに、差別や迫害が生まれるなんて何ともおかしいなと思います。
その人、一個人がどういう人でって向き合えば良いじゃないですか
っていう私のジェンダーに関する思うことでした!笑
めちゃめちゃな文章を最後まで読んでくれてありがとうございました