私とジェンダー
こんにちは!まことです
最近はまた天気が良くなったと思いきや、雨が降ったりでよくわからないですね、、、
私事ではありますが、大学三年生になったので近頃は就活やら何やら将来のことを必然的に考えるようになり改めて自分の価値観ってどんな感じなのか、自分はどういう人間なのかを考えるようになりました。
今回は、私の、皆さんの、大きなアイデンティティの一つであるジェンダーやセクシュアリティについて触れたいと思います。
私は自分はこのセクシュアリティっていうのは今のところ難しいなって思ってます。
今まで好きになった人は男の子です。
でも、これから好きになる人が全員男の子なのか断言できるかと言われればわかりません。
私は中学・高校6年間を女子高で過ごしました。
教室を見渡せば女子。廊下に出ても女子。学校までの道も女子。休みの日遊ぶのも女子。
共学に通っていた方からしたら、6年間もそういった環境にいることは想像しにくい光景ですよね。笑
体育祭での告白、制服デート、シーブリーズの交換なるいわゆる男女の"アオハル"は皆無でしたが、私にとっては鬼のように楽しい、かけがえのない6年間でした。
この6年間で私はジェンダーについてすごく考えた時期がありました。
中学2、3年生の頃。
思春期真っただ中で、誰か特定の仲良い一人、ニコイチを作ることに謎のステータスを感じていた当時の私は一人の子にすごい固執していました。
それに相まって、もともと人との距離感が周りに比べて近かった私は仲良しの子達に
”まことってレズなの?” ”まことってあの子のことガチで好きなの?”って言われることが段々増えてきました。
小学生の頃好きになった人はいたけれども、
その好きは本当の好きじゃないというのは中学生ながら薄々気づいていたのか、
”本当の恋愛感情の好きとは?”という状態にいました。
そのせいか、
友達から言われるレズというワードやガチで好きなの?という問いかけにすごく引っかかって真剣に考えるようになりました。
私はもしかしたら女の子が好きなのかもしれない。
漠然とした不安を感じました。
それから、友達が本気で言っているのではないとわかっていても、そういったことを言われるたびに自問自答したり、本気で言っていないからこそ、あ~やっぱり女の子のことが好きって駄目なんだなと感じていました。
当時ジャニーズにハマったからか、高校生の頃に友達一人に固執するのが自然となくなったからかそれ以降自分のセクシュアリティに関して悩むことはあまりなくなりました。
こういった経験があったからか大学に入ってジェンダーについて学問的に学びたいと思えたし、今の自分のジェンダーに対する考え方を確立させてくれたので、すごく良い経験だったと思います。
今でも女の子でも惹かれる子であったり、魅力的だなと思う子たちが今もいるのは事実で、それが恋愛感情としての好きかと言われれば未だに答えはわかりません。
だから、私は自分自身をへトロセクシュアルとも断言できないし、レズビアンとも断言できないし、バイセクシュアルとも断言できないです。
でもそれで良いなって思ってます。
前にもどこかで話したと思うんですけど、白黒はっきりさせたり、0か100で物事を考えたり、正解、不正解をつくる必要はないと思うんです。
そんな二つしか選択肢がない世界なんて息苦しすぎませんか?
つまらなくないですか?もったいなくないですか?
人はそもそも環境に応じて変わっていくものだし、
それと同じで自分が好きになる対象が変わるのだって同じというか、自分でもどうなるかなんてわからない。
自分が人と違うことを恐れるのは本当にわかります。
私もめちゃめちゃ人の目や評価は気にするし、正直八方美人なところあります。
でも、ひとつ思うのは、本当の自分自身を出したり、自分の意見を言ったときに
笑ってきたり、離れていった人は自分にとってはそれまでの人なんだなと。
私は本来の自分をさらけ出したときにマイナスな反応であったり、自分に対してネガティブなことを言ってくる人のことまで気にしていたら、もう、メンタルが保たない!
最近やっと私もこうやって考えられるようになりました。笑
ジェンダーの話に戻ると、、、
元々、からだのつくりの話ではに男子・女子と特徴別に分けられますが、
それだけじゃないですか。
身体的特徴に必ずしも沿っていないといけない、100%一致しないといけないとかそういう決まりありますか?
そういうラベルや”普通”に固執して、何が普通かもよくわからないのに、差別や迫害が生まれるなんて何ともおかしいなと思います。
その人、一個人がどういう人でって向き合えば良いじゃないですか
っていう私のジェンダーに関する思うことでした!笑
めちゃめちゃな文章を最後まで読んでくれてありがとうございました
私が持つ特権
こんにちは!お久しぶりです!まことです
あっという間に6月になり、私が嫌いなジメジメムシムシの梅雨が来るまで秒読みになってきてます。憂鬱。笑
緊急事態宣言も解除されましたが、またいつ第二波が来るのかと思うと元の生活に戻るにはまだまだ時間がかかりそうですね、、、
今回私が書きたいと思っていることは特権についてです。
ちょうど一週間前にアメリカでアフリカ系アメリカ人男性George Floydさんが白人の警察官によって殺害されたという事件が起こりました。多くの人がその当時の様子の動画をニュースやSNSで見られたかと思います。一人の警察官が首に膝を置き、ほかの警察官と取り押さえている態勢が約7分ほど取られ、Floydさんは"息が出来ない" "殺さないでくれ" 悲痛な叫びが聞こえてきます。
初めてこの動画を見たとき、すごく衝撃的でした。頑なに膝を首からどけない、苦しいと言っているのに"話しているから大丈夫だ"と解放しない。結果的に動かなくなってしまった、命をその場で落とすことになってしまった。
アメリカに限らず世界ではこの事件のように白人警察官による黒人の市民への暴力、殺害、また人種差別は未だに根強く残っていると感じます。それは黒人の人たちに対する差別だけではなく、あらゆる人種に対して。そして、そういった差別は人種だけではなく、セクシュアリティ、宗教。いろいろな面で実際に起こっています。
コロナがアジアで流行り始めた頃、イギリスにいた私は道を歩いていただけで"コロナだ"とか"あいつはコロナを持っているに違いない"ということをすれ違いざまに言われました。日本で生まれ育った私は学問として、情報として差別の実態を知ってはいたものの、特に人種差別を実体験したことがなかったため衝撃はすごかったのを覚えています。悲しかったし、悔しかった。ただ肌の色が、顔つきが、体つきが違うだけじゃん。
人は自分と違うものを持っている人を近寄りがたく感じる。
人は自分と違うものをも持っている人を怖く感じる。
そして、変化を、恐怖に感じる。
私は自分を含め人間ってそういう生き物なのかなぁと思います。
新しいことが怖い、自分の知らない世界は怖い。
自分との普通が普通じゃないのは受け入れがたい。
でも、
無知がどれだけ怖いことかを知らないほうが怖い。
自分の普通が普通と思うことのほうが怖い。
私はそう思います。
だから、目を背けてはいけないと思うんです。世界で起こっている出来事に。
日本ではあまり目にしない光景ですが、見えていないだけで実際起きているかもしれません。日本ではあまり大きく取り上げられない、人種、宗教、セクシュアリティ。
知らないから想像できない、わからない。だから関係ない。そういう状態にいること自体が私たちが持つ特権です。
"if you don't have to think about it, it's a priviledge"
ジェンダーの授業で教授が言っていた言葉です。
特権は相手が誰か、自分がどこにいるか、何についてかで変わります。
その時々でこの特権を使わないといけないと思います。何に対しても、自分がその時起こっていることについて特権を持つ存在であるならばそれを理解して、出来ることをしなければいけないと自分は思います。
知ろうとすること、自分の意見を発信すること。自分の立場を表明すること。
沈黙は起こっている出来事、既にある状態に満足していることとみなされても仕方ないのだと思います。
人は誰一人として同じではないし、だからこそ面白くて、人の数だけ考え方、生き方、価値観が存在している。素敵なことだなあと思います。
そんな出会いを知る前からラベルで決めつけて自ら潰してしまうのはもったいないなあ。もちろん相手を知っていく中で、自分には合わないと思う人は出てくると思います。そしたら、それはそれで良いかななんて。
自分の持つ特権とそれをどうするかについて改めて考えたくなったのと、
皆さんにも少し考えてみてほしいと思ったので書かせてもらいました!!!!
最後まで読んでいただきありがとうございました
お久しぶりです
お久しぶりです まことです!
随分と長い間ブログの更新が出来ずすみません。
今毎日ニュースで報道され、各国で多くの感染者と死者を出しているコロナウイルの影響で一か月前に予定より三ヶ月ほど早くイギリスから帰国しました。
なかなか色々なことに対するモチベーションが立て直せなく、留学の振り返りもきちんと出来ていなかったので今回のブログで思い出に浸りがてらまとめさせていただこうかなぁと!
<留学先>
私の留学先はイギリスのLeedsという街です。地図で言うとここ!
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
Leedsは学生都市で大学が街に複数存在しています。街の中心にはショッピングモールやたくさんのお店があり、少し外れれば公園もあったり、自然も感じられて生活するにはとても良い環境です。私はUniversity of Leedsという、かの佳子様も留学していたらしい大学に留学していました。留学時の生活はまた別の機会にして、留学を通して思ったことを書きます!
<英語力>
英語力は総じて上がったと思います。でもペラペラにはなれませんでした。(笑)
留学前は絶対にペラペラになる根拠のない自信がありましたがそんな甘くはなかったです。話す以前に自信がないから言葉に出せないし、会話を続けようと思っても話題が無くて一言二言で終わってしまったり。もちろん会話するうえではある程度の文法と単語が必要なのは確実ですが、それは大体中学・高校レベルかなと。
だから、結局大切なのは口に出してみることと対話力だと個人的には思います。
相手に、相手の話題に興味を持つこと、小さなことでも質問することが会話を続けられるし、これ言おうかなあと思ったらとりあえず言ってみることを後半は心がけて生活すると最初の方より断然英語を話すことに慣れてきました。
リスニングに関しては周りが全て英語なのでこれこそ自然に身につきました。ただ最初はアメリカンアクセントで英語を学んできた身としてはブリティッシュアクセントは違う言語か!!ってくらい何言ってるのかわからないし、方言強すぎてさらに何言ってるかわからなくて会話にならないことも多々ありました。でも不思議と生活していたら慣れるもので聞き取れるようになり、アクセントまで気づいたらブリティッシュに浸食されていました(笑)
<交友関係>
英語力の向上並みに悩んだのが交友関係。
何度かブログでも書いたと思いますが、現地生の友達を作るのにすごく苦労しました。
今思うと友達なんて作ろうと思って出来るものじゃないのはわかるんですけど、その時はとにかく必死で必死で。一度疲れ切って新しく人に会ったり、新しい場所に行くのも嫌になって出来るだけ家にいようとしていたこともありました。無理して作るのは違うかなと段々気づき始めて、ただただ英語を話す機会を増やすという目的だけで色々な人に会うことを二学期目にまた始めました。そのころには少しづつ自分の英語にも自信が持てるようになっていたこともあってか自然と友達を作ることができるようになりました。要した期間約4、5ヶ月。(笑)
そこからは一緒にクラブに行ったり、映画見たり自分がしたかったことが出来ていました。
<勉強>
勉強は本当にただただ必死で毎回かろうじて理解できるみたいな状態でした。
膨大なリーディング、やたらあるディスカッション、グループプレゼン、エッセイ
特に2学期は自分で少しきつめの時間割で設定したこともあり、ほぼ毎日図書館でした。リーディングのスピードは段々速くなったけれど、理解度は時間をかけないと深まらず、、、って感じで結局全期間を通してずっときつかったです(笑)
でも、一つ一つに対して考えることが多く、日本でいる時より課題に対する真剣度は比べものにならないくらいだったかなと。
あとは日常会話とはまた違う授業のトピックでのディスカッションでも徐々に発言できるようになったのは大きな成長だったかなと。
<まとめ>
全部まとめると、留学をしたことで後悔はゼロ!!!!
留学生活は抱かれてるイメージとはかけ離れてるものもあったし、想像しているよりキラキラしていないし、8割きついことばっかりで、悩みがない日がありませんでした。
でも、その分たくさん色々な経験や感じることが詰まっていて何にも変えがたいものです。目に見えたり、言葉ではうまく説明できないけれど得られたものがあります。自分と向き合う時間が多いことで自分の弱みも強みも見つけられたし、それをどう改善し、活かすかもたくさん考えられました。
留学を終えた今私は自分の軸を見つけられた気がしています。
少なくとも留学前の自分より今の自分の方が好きだし、自信を持てます。
誰もが出来る経験ではない留学を改めて出来て良かったと思います!
人生で最高の6カ月でした!
See you soon, Leeds !
最近見た動画
こんにちは 真琴です!
3月になりましたね、、、暦上では春ですがまだイギリスは少し肌寒いです。
今回のブログでは私が最近見た動画についてお話したいと思います。
ズバリ、その動画はと言いますと
You Tuber ゆうせい荘さんの"好きなことで生きていくために"
というタイトルの動画です。
私はこの動画を兄の勧めで見たのですが、自分の考え方がいかに制限されていたか、それに対していかに自分が盲目であったかに気づかされました。是非皆さんにも共有したいと思い、個人的に特に印象に残った内容を掻い摘んで私の言葉で私が理解したように書いていきます。
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人は皆洗脳されている
ゆうせいさんはまず人間は生まれたその瞬間は真っ白な状態(=どんな考えでも信じられる状況にある)であることを前提としています。しかし、幼少期になると周りと比較して色々な疑問が生まれてきます。なぜあの子はおもちゃを持っているのに私は無いのか等々。そしてそれを周りの大人に尋ねます。そうするとその人たちの意見が"当たり前なんだ、正しいものなんだ、そういうものなんだ"と頭に入っていきます。そしてそれを疑いません。しかし、それは果たして本当に正しいことなのか。
⇒人間は何でも信じられるからこそ、
教育されたこと・言われ続けたことをそのまま信じるようになる
=それって洗脳じゃない?
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考え方の多様性
またゆうせいさんは動画の中で人は価値観が異なって当然だし、多様で良いと言っています。ただそこで大切になってくるのがその考えが自分で自ら行きついて得たものなのか。それとも周りから無条件に言われて身についたものであるか。
自分で考え方を得たら本当の自分を見つめなおせる=洗脳から解かれる
周りの言動で身についた考え方であればそれが正しいと行動を制限される。 -
好きなことだけをする素晴らしさ
今、何かしらの洗脳下にある考えから抜け出すと自分の可能性が広がる。今まで持ってた"~だからOOあるべき・仕方ない"という概念に縛られなくて良くなる。
⇒それなら好きなことだけやって生きていこう!!
好きなことだけやれば、何より自分自身は楽しめるし、心に余裕が生まれる。たとえ失敗しても好きなことであればそこから学べることがあるから、それすらも楽しく思えるはず。
人はそれぞれ違う。どれが正解とかではないし、優劣もない。そこに優劣をつけようとしたり、自分の考えと自分が思いこんでいる正解と違うから批判すると争いが生じてくる。
人はもともと自由だから、何を信じても良いから自分の考え方をいつ変えてもいい。変わるのに遅いも早いもない。
なぜなら人は生まれてから死ぬその瞬間までただ生きるだけだから。
それなら周りなんて気にしないで、自分で得た考え方で、自分の好きなことだけばっかりする宗教を信じてみても良いんじゃない?
今回ゆうせいさんが動画で伝えていたことを私の受け取り方で書き出したので、皆さんが動画を見たらまた違う解釈になるかもしれません。
でもそれで良い!!人それぞれ!!
動画本編は50分弱と少し長めですが、今の日本や昔の日本を例に出してすごくわかりやすく私たちが洗脳されているのか、それによってどういうことが起こっているかを説明してくれています。
下にリンクを貼っておくので、是非お時間がある方は見てみてください!
自分が洗脳されていないと信じる洗脳をされていることに気付けると思います
長々とお付き合いいただきありがとうございました。
ぺスクタリアン生活結果報告
これまたお久しぶりです!まことです!
前回の投稿で2週間ぺスクタリアンチャレンジをすることを宣言しましたが今回はその生活を通して私が感じたメリット・デメリットを共有したいと思います。
<ぺスクタリアンのメリット>
- お通じが良くなった
無駄な脂肪分や油分を摂取せず、その代わりに野菜中心の生活になるため食物繊維を今まで以上に多く摂取できるようになったからだと思います。 - 栄養バランスをしっかり考えるようになった
今までお肉で補っていたタンパク質などの栄養素を他のもので補わないといけなくなるので料理を作る時には普段気を遣っていなかったそういったバランスを考えるようになりました。 - 肌の調子が良くなった
ぺスクタリアン生活をしている時、“油を取ってないから肌が乾燥しないかどうか”をよく聞かれました。私も最初は肌の調子が悪くなるのかなと思っていましたが逆に肌が綺麗になった気がします。お通じと同じ要領で過度な油をとらないことでニキビや肌トラブルが改善されたのかと思います。 - 痩せる(?)
これに関しては絶対!!と断言はできませんが、ぺスクタリアン生活を始めて少し経ってから顔がスッキリしたと言ってもらえることが多かったです。私の寮に体重計がなく、個人的に買ってもいないので体重が減ったかはわかりませんが少なくとも見た目に多少の変化は見えるようです。 - 野菜の味をよく感じるようになった
今まで野菜の味を噛みしめて食べることがあまりありませんでしたが野菜をメインで食べる機会が増えたことで、野菜の持つ甘味をたくさん感じました。正直ぺスクタリアン生活を始めてから野菜が大好きですし、ぺスクタリアン生活を終えてから食べる量・頻度は確実に増えました。
<ぺスクタリアンのデメリット>
- 空腹になりやすい
野菜中心の生活になってくると炭水化物を摂取してはいるもののお肉を食べている時の生活に比べたら消化が早くなるのかお腹が空く頻度が増えた気がします。 - お肉の代替品が少ない
これはイギリスだからこそなのかもしれませんが、魚や納豆・豆腐などの発酵食品(通常のスーパーではなくアジアンスーパーにて購入可能)が高く売られているため、毎日の食事にそれらを取り入れるのは経済的な面で厳しいものがありました。そのため、満足感・満腹感を得るのは少し難しいです。 - 友達と外食の時に少し困る
ここでの困るはレストランにビーガンメニューがないとかではなく、友達と食事に行くときや一緒にご飯を作って食べる時に相手にぺスクタリアンであることを伝えにくいという意味で困ることが多かったです。元々、私がぺスクタリアンをしていることを知っている友人であれば私が別のものを食べればいいのですが友達がお肉を口にしているのを見るとどうしても食べたい気持ちが出てきてしまい、抑えるのに必死でした。ぺスクタリアンであることを知らない友人とごはんに行く時。これは恐らく私の気持ちの問題だと思いますが、周りがお肉を食べたい!と言っている中でぺスクタリアンであることを言ったらノリ悪いとか思われるかなとかそういう人付き合い的な面を考えてしまうと大変でした。
<感じたこと>
1週間経過
お肉を使わずにどういう料理が作れるかを考えることがすごく楽しくていつもの自炊では作ろうと思わないものも作りました。
10日経過
デメリットのうちの一つとして挙げたように周りでお肉を食べているのを見てしまうとジワジワとそれまで頭から抜けていたお肉の味や美味しさを思い出して食べたくなってしまいました。それ以降の生活はわりとお肉を食べれないことがストレスに感じてしまって、最初ほど余裕がありませんでした。
2週間経過
2週間終わってから数日はお肉を食べない生活をしていました。不思議なことに自分でも意図せずに笑
結局少し前にスーパーでお肉を久しぶりに買いましたが、前より確実に買う量は減りましたし、買う前に何度も買おうか迷いました。ぺスクタリアン生活をする前の自分では想像できませんでした!!こういった小さな変化が生まれただけでも今回のチャレンジは意味があったと思います。あとはぺスクタリアン生活でお肉の代わりで魚を食べる機会が増えたことで魚に対する種差別、また卵・乳製品は食べることで乳牛やひよこに対する種差別にもなっていると感じました。
あとは意外と日本の方がぺスクタリアンはやりやすいかもしれないです!
魚の種類が多いし、魚肉ソーセージ、発酵食品、大豆ミートなどお肉の代替品も多数あるので良いかと。
結論として、私はお肉が大好物ということもありずっとぺスクタリアンで居続けることは出来ないと感じましたが、食べるお肉・卵の量は減らし、定期的にぺスクタリアン生活はしていこうかと思います。改めて自分が他の動物の命を頂いて生きていることを実感することができて、食に対する意識や食生活の見直しをこのぺスクタリアンチャレンジを通して出来て良かったです。
ぺスクタリアンは菜食主義の中では一番やりやすく、健康面で身体に悪影響を及ぼすこともあまりないのですごくオススメです!皆さんもぜひ一度試してみてはいかがでしょうか!!
最後まで読んでいただきありがとうございました!
食べること
お久しぶりです!まことです!
地獄のようなテスト期間が過ぎ去り、あっという間に二学期がはじまりました、、、
留学生活も残すところ五カ月くらい!時が経つのは早いもんです。
今日は'食べること'についてお話したいと思います
私はとにかく食べることが大好きです
小さいころからずーっと食べることが好きで、バイト代も洋服とかではなく美味しいごはんに使う!そういうタイプの人間です。笑
そして、何よりも好きな食べ物がお肉!
焼肉、からあげ、しゃぶしゃぶ、ハンバーグ、焼き鳥、、、
素敵な響きです
そんな私ですが昨日から2週間チャレンジとしてぺスクタリアン生活をしています!
ペスクタリアンって何ぞや、、、と思う方も多いと思うので簡単に説明を!
ぺスクタリアンは菜食主義のカテゴリーの一つで、魚や肉を食べないベジタリアン、そして肉、魚に加えて卵や乳製品も食べない完全菜食主義のビーガンとはまた違い野菜はもちろん、魚、卵、乳製品は食べますが肉は食べません。
なぜ、突然ぺスクタリアン生活をしてみようかと思ったのには2つ理由があります
1.イギリスのお店には必ずといっていいほどビーガンメニューがあること
2.友達がビーガンであること
この2つを理由にまずビーガンに興味を持ちました。
イギリスでは3500万人以上の人がビーガンと自認していると言われているほどで、その存在は珍しいものではありません。なので、スーパーに売っている商品はもちろんのこと、レストランに入っても豊富なビーガン料理が揃っています。
それでもお肉大好きな私からすると、文化の違いの一つくらいにしか捉えておらず、純粋によくお肉食べずにいられるなあって感じだったのであえて自分からそういった商品や料理を手に取ることはありませんでした。
でも、友達の一人がビーガンで、その子から話を聞き始めて、自分でも調べるようになりました。自分がいつも当たり前のように口にしているお肉、卵、乳製品がどのような過程を経て私たちのもとに届けられているのかを動画を通して見て、あまりにもその方法が自分の想像を超えるほど残酷なものだったのでそこから食べることについてよく考えるようになりました。
そうすると、
普段は何も感じずに調理していたお肉を見て罪悪感が生まれるようになりました。
"いただきます"という言葉は命を頂きますという意味が含まれているけれど、本当に感謝の気持ちをもって言っているかと言われれば決まり文句でとりあえず言っている自分を見つけました。
無意識に種差別をしている自分を見つけました。
犬や猫は殺してはいけないという考えはあるのに、何故同じ動物である牛や豚は容易に殺されてしまうのか。それが美味しいからという理由だけなら少し考えなければいけない部分も出てくると思いました。
そこで、考えてるだけでは仕方ない!行動!ということで
まずは自分に無理なく出来そうなぺスクタリアンを二週間やってみようという考えに至りました。
何事に対しても通じて最近思うのが
0か100じゃなくて良いんじゃないかなと。
だから、動物愛護の精神があるから絶対ベジタリアンじゃなきゃいけないってわけでもないし、少し自分の中に引っかかるものがあれば食べるお肉の量を減らしてみるとかそういう形でも全然良いと思います!
(この0か100かっていうことに関してはジェンダーを絡めてまたお話しします!)
私は正直この2週間チャレンジを終えてからもぺスクタリアンで居続けるかはわからないですし、日本でもこの生活をすると考えると出来る自信はありません。
それでも、今やってみてどう感じるかが大事じゃない?
そんな0でも100でもない感じでやっていきたいと思います。笑
最後までお付き合いいただきありがとうございました!!
2020年!
新年あけました!2020年!
こんにちは!まことです
時が経つのは本当に早いもので年が明けてからもうすぐで一週間が経ちますね
ちなみに、私は友達とロンドンで年越しをしました
じゃん!!!!!
花火を近くで見るためのチケットは早い段階で売り切れてしまったので、エアビの屋上から見ました!
ということで、今回は無難に今年の抱負を立てたいと思います。
<2020年 抱負>
- 勉強にもっと本腰を入れて、自分のモノにする
- 積極的に行動する
- 自分の行動と発言に責任と自信を持つ
- 他の人と比較しすぎず、自分のペースで、自分のレベルで頑張る
- ジム週3通い
- 自炊のレパートリー増やす
- 国内も国外も旅行!(一人旅…?)
- 家族、友達、自分の置かれている環境に感謝を忘れないこと
まとめると、、、
自分の目の前にあるもの一つ一つに全力で取り組む!
怖くても、とりあえず何事も積極的に挑戦!
2019年で失敗したこと、悲しかったこと、辛かったことは、その経験から学んだことを2020年に持ち越して活かしていきたい!
留学のことだけでいうと
去年過ごした4カ月は環境に身体的にも精神的にも適応して、落ち着くのに時間を割きました。英語力もよく言われているように三カ月経った頃から前よりは話せるかなぁという実感がジワジワ湧いてきたので残されている半年の期間は英語を話してもっとステップアップしたい!!そんなところです。
2019年は新しいことだらけで、本当に多くの人に支えられていることを実感しました
2020年はどんな新しいことが待ち受けているのか、どんな新しい出会いがあるのかが楽しみです!!
今年もよろしくお願いいたします!